争い
みなさん、こんにちは
資源が限られていてその中にそれを欲しているものがいればその資源を得るために必ず競争があります。理想は欲するもの全てに分け与えられるのであればいいのですが現実はそれはできないのでそこに競争が生まれます。
私たちも例えば他人が美味しそうな物を食べていたらそれを食べたいと思いますし、良いオーディオ装置を持っていたらそれを欲しいと思います。自分が欲しいと思う物を他人が持っていたらそれは欲しいですよね~
でも欲しいからと行ってそれを他人を殺してまでして手に入れることはしません。(する人もいるかもしれませんが(^_^;))
これは極端な例ですがこういうことをしないのは脳に発生した感情を制御する機能があるのだと思っています。例えば目の前にいる人に対して激しい怒りをもったとして
コイツ殴ってやろうかな
いなくなるといいのに・・・
というのはものが湧き出るのか素直な感情だと思います。
ところがこういう感情が湧き出る都度それが制御できないで殴ったりいなくなるような行為をしたり(デスノートに名前を書くとか(^_^;))はしません。
これは人間の脳の中にそれなりの制御をかける機能があるのでしょう。
争いは自分の脳が自分を守るために最適である行動を選択するのだと思いますがそこにこのような制御が働いて人間の行動が積み重ねられています。
私見ですがこの制御は例えば知り合いがいるか全くいないかで変わるのだと思っています。
例えばカッとしたときに周囲に自分を知っている人がいると思うと
ここでコイツを殴ると暴力的だと思われるから耐えておこう
という判断になることがあります。
ところが自分を知っている人がいないと思われる場所だとそういう判断はなく
この野郎!
ボカ
になります。
ここまでが前振りです。
今週は通常の時間帯で電車通勤でした。電車の中は自分を知っている人がいるとは思われない空間であり脳の制御が機能しない場所だと思っています。ニュースで観る満員電車の光景ではありませんがそれでも人がいるので自分の行動が制限されるので心地良い空間ではありません。これは私だけではなく他の乗客も同じだと思います。
自分がつかまっているつり革に捕まる人
すいませんもいわないで押し込む人
鞄をぶつける人
色々な人がいますがこれらは彼らが持っている脳の欲求を実現するために行動しています。そこには前述の制御する機能は働いていないように思えます。
これを人格の問題と考えるよりもその制御機能が働いていないのでしょう。
時々電車が遅れるというアナウンスで
お客様同士のトラブルで電車が遅れています。
というのがあります。よくあるパターンは隣の人の肘があたった。これはスマホ操作に夢中になっているとよくあることです。そこで
その肘を押し返す。
押し返されたので不快なので押し返す
それを何度が繰り返して
なんだこのバカヤロウ!
というのが典型的なパターンです。
但しこれらの人が未熟な若者ではなく自分の経験上それなりのわきまえた年齢という感じの人も該当します。
そういう私はどうなのかって?
実は電車の中の争いはそれほど興味はありません。
足の踏み場がないような満員電車ではないのである程度自分の体制を確保できますし電車の中で観なければならないスマホの情報などありません。むしろ乗客とトラブルを起こして仕事に差し支えるほうを恐れますから意味のないトラブルには巻き込まれないように気をつけているだけですね~
隣の乗客がスマホに夢中になっていて肘が当たるということはよくあります。気にならない時は放置ですが音楽を聴いていたり考え事をしているときはウザイと感じることがあります。この場合はそれとなくやわらなく手でその肘をどけます。気が付く人は改善しますしこのときに軽く会釈すると改善することが多いですが中にはそうでない人もいます。そうでない人の場合は考える事を止めるか場所があれば移動するようにしています。
争いの当事者にはなりたくないですね~
ある意味争うというのは現役なのだと思いますがそういう意味では私は半分引退していますね~
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