自分のビジネスにおける存在意義
みなさん、こんにちは
今の私の大きな課題はビジネスマンとしての終わり方です。
もちろん可能であればずっと続けていたいのですが人間は年齢を重ねますからあと20年今のように働けるのかというと自信はありません。クライアントも外資系などは遠慮なく使えない場合には使えないといってくれますが日本人だと遠慮して
あなたは使えない
と面と向かっていってくれることはあまりないかもしれません。
そうなると
俺はまだまだできる
とかで引き際を間違いしがみつくことは考えられますし私もそうならないという保証はありません。
まだ比較的まともな感覚を持っている(と思う(^_^;))今の私の考えはいわゆる老害になるのは嫌ですし老害は認知症と一緒でなっている本人はわからないのだと思います。今まで数多くの老害の事例をみてこの人は若い頃こういう輩をみると
嫌だな~
と思ったのではないと思いますが自分がその立場になっているのが気づいていないようです。
そこで私の中のもう一人の自分がキモになる仕事の時に自分自身を冷静に判定します。
お前はこのクライアントに必要な存在なのかどうなのか
(もっともこのもう一人の自分の老害になったらアウト(笑))
じつは先日この厳しいチェックがありました。
あるクライアントにややこしいことを説明しました。ところが私の説明がダメでそのディスカッションでは理解してもらえませんでした。クライアントの質問がその本論から離れて
色々飛ぶのですがそれについて全ては回答できませんでした。そこで時間をもらいきちんとこの周辺の質問をチェックして調べて再びディスカッションをしました。じつはその間資料を確認作成しているときには凄いプレッシャーがありました。
自分の中では
これが分かるのはこのクライアントの関係では私だけなので私がクライアントが理解できるように説明しなければならないし説明する義務がある
ということでした。
いくら私が理解してもクライアントが理解できるような資料を作って理解してもらえなかったら私はこのクライアントに存在する意味がない
と自分の中で強く思い、心の中ではこうなったらこのクライアントには必要ないから去るべきだ
と決意しました、
もちろんこのクライアントとは長いし気心もしれているので私はまだ辞めたくはありませんがこれを今回の自分に対する試金石にしました。
その後2時間弱のディスカッションで説明はスムースに行きとりあえずもう一人の自分からクビは宣告されないですみました。
仕事はいい意味での緊張感は必要ですね。
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