幸せと不幸
みなさん、こんにちは。
あ~、俺なんかいい歳になるのに
給料はそんなに高くないし
カッコよくないし
歌下手だし
楽器できないし
(ほぼ私の等身大ですね(^_^;))
幸せではないな~
と思うことってけっこうありますよね。
幸せと不幸せって絶対的な基準はなく相対的というか考え方一つで逆転すると思います。
例えば大成功して月収(日収でもいいですが)5億円だったら・・・・
あ~あ、お金稼ぐ楽しみなくなっちゃったな~
月給30万円とか50万円の頃が一番楽しかったな~
お金稼ぐ楽しみがない自分は幸せではないな~
と思う人はいるでしょう。でも傍からみると経済的な悩みがないように見えるこの人は幸せに見えますが本人は幸せではないのでしょうね。
このように●●だから幸せ、●●でないから不幸とは一概には言い切れませんし、一般的に自分にとって当たり前と思っていることはそのことについて幸せを感じることはありません。
例えば私は入院中に2週間点滴だったのですが2週間ぶりにおかゆを食べた時に、食べる(特に飲み込むことが)大変でした。
口からものを食べることっていいことだな~
と思いましたし、感染症で入院した時に自力で呼吸ができなくなる可能性があるということで呼吸を補助する機器に繋がれていました。
自力で呼吸ができる
ということは素晴らしいことだとこの時に思いました。
入院する前は口から食べるなんてこんな当たり前のこと考えたこともかみしめたこともありませんし自力で呼吸ができるなんて意識すらしていませんでした。
まあ給料がそんなに高くなくともカッコよくなくとも歌が下手でも楽器ができなくとも幸せをかみしめることができます。
その一方で私のように糖尿病が発覚した場合はどうでしょうか?
好きなもの食べることできないし
血糖値がすぐ上がるし
合併症がでるし
インスリン注射一生打ち続けるし
不幸なのでしょうか・・・・・・・
まあ、制限があることは間違いありませんが不幸とは限りません。
糖尿病が発覚する前は炭水化物とか糖質とかのことは全く考えたことはありませんでした。
もちろん糖尿病でなくとも糖質を摂りすぎるのは身体によくないなんてこともつゆしらずでした。
合併症は血糖のコントロールをキチンとすれば押さえることができますし、インスリン注射も血糖値のコントロールをすれば離脱することができ一生打ち続けることはありません。今までは食事に気を遣っていませんでたが今はそれなりに気を遣っているので一病息災を目指すことも不可能ではありません。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
とか
人間万事楽塞翁が馬
が私の人生の教科書ですね~
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