凡庸なる者達へっ!
凡庸なる者達よ、私はお前等を許そう
みなさん、こんにちは。これは映画のアマデウスのラストシーンでサリエリが言った言葉です。
映画の中の話ですがサリエリは自らを凡庸と思い自覚し、それに対してモーツアルトは神が授ける音楽がきこえるように考えたそうです。
私は自分の父親と比べて子供の頃からずっと自分の凡庸さを感じていましたが、幸いそれは劣等感にはなりませんでした。
私の父親は家庭の事情で頭はかなり良かったのですが進学を断念せざるをえない状況でした。小さい頃からこの父親と接していると父親の頭の回転の速さに舌をまくことが多かったです。ちなみに私は小学3年生で債務保証とはどういうものはを知っていました。(^_^;)
大人になり東京に出てきて色々な人とお会いしましたが私の父親を凌ぐほどの人とは会ったことがありません。
大人になって、
あの回転の速さは俺にはないな~
俺って典型的な凡庸な能力だな~
と思いますが父親に感謝したいのはそのことで私に劣等感を植え付けなかったことです。
父親と比べると凡庸ですが凡庸だけどもそれほどバカではない(バカかも(笑))ようで仕事で凡庸がゆえに不自由することはありませんでした。
親の素質は子は受け継ぐことが多いのでしょうが受け継ぐことができないものもありますし、ある才能を受け継ぐことができないからといって親よりもダメかというとそうではありません。
人には色々な気質があり特技があり能力があります。
ただ自分が凡庸ということで劣等感を持つ必要はありませんが、自分の凡庸さを認めないと悲惨な人生を送ることになります。特に父親が企業を創業して子である自分がそれを継ぐ場合ですね。
父親は知能をうふり絞り闘い抜いてきましたがその息子はそういう能力は創業者ほどは必要としません。でも経営者として創業者である父親と比べて凡庸であるかどうかの判断がつかない人って多いです。私もそういう人は何人か知っていますが父親が経営から離れると孤立してしまうでしょう。
周りは父親に対して敬意を払っていたのであり、子である自分に対してはついでに(笑)敬意を払っていただけなのですね。周囲は自分と父親との差が大きくあり自分が凡庸であることはとっくに知っています。
幸い私は父親ほどの才能がないので父親の職業を引き継ぐことができませんでしたからこういうことはありません。
別に凡庸であることは悪いことではありません。
自分は凡庸であり父親とは違う存在であることを十分自覚して振る舞えば良い人生を送ることができると思います。
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