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2013.03.16

ほんのちょっとしたことで生かされているという実感

みなさん、こんにちは。
去年の6月から入院をしてほぼ4ヶ月の長期休暇を取りました。

発端は去年のGW直後に脳梗塞になったことでした。
朝起てワイシャツのボタンを止めようとしたら5分経ってもできませんでした。

痛みなどはなかったのですが、直感的に・・・

これは頭かな~

と思いました。その後病院に行き血液検査をしたら血糖値が490、ヘモグロビンAICが14くらいでした。

でその後心臓の筋肉の一部の壊死と心臓内の血液の逆流がわかり手術になりました。

今思うとよく生きてこれたと思います。

もしあのときに脳梗塞にならなかったら・・・・・・・

多分今頃は死んでいたでしょう。当時で心臓は普通の人の25%くらいしか機能しておらずドクターいわくいつ突然死しても不思議ではないという診断でした。クライアント先で突然死という可能性が高かったと思います。ドクターいわく手術まで二ヶ月は待っていられなかったとおっしゃっていましたから。

仮に生きていたとしても血糖値は1000超えていたかもしれません(そんな数値あるのかどうかわかりませんが)。

普通これだけの血糖値をやらかすと、腎臓が悪くなり人工透析だったり、血圧が高くなるということになりますが幸いこれら二つは今のところ正常です。これは幸運でした。

おそらく血糖コントロールの知識もなかったと思うので高血糖にも拘わらず炭水化物をとって節制した気になって血糖値のさらなる上昇が起こっていたでしょう。

去年の4月にモーツアルトのレクイエムの演奏に合唱として参加してからの状態なので
私もこれで思い残すことがなく旅立ったという言葉を頂いたことになるでしょう。

今はドクターから食事の制限は受けていないのですが自発的に炭水化物を制限して血糖値の上昇を防いでいますから不便さを感じていますが、死んでしまったら何も食べることはできませんよね。仮に私が霊魂でこの世を彷徨ったとしてもアイスがあってもそれを見ているだけで食べることはできないというのは辛いかもしれません。今は食べようと思えば食べることはできますし、低糖質なアイスやチョコレートも販売されているのでストレスは全くありません。

人間は最後には必ず死にますが、死というのは自分には縁遠いものではなく常に死の
現象は自分の近くにあるということを思い知りました。

この後はどういう展開が待っているかわかりませんが、できたら残りの寿命を私らしく全うしていきたいですね~

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コメント

すいか姫さん、こんばんは
コメントありがとうございます。

実は入院していたときに私の命が尽きて私の死体が病院から我が家に運ばれてきて子供達が泣いている絵が何度も浮かびました。

子供達が不憫でこれでは死んでも死にきれないな~

と強く思いました。

感染症で二度目の入院手術をしたときに病棟の師長さんに目をかけてもらってある程度回復した時に、私が諦めなかったことが一番大きいとおっしゃってくれました。

この時には今の職業で復帰できなければ全く違う職業に就くために退院したら勉強しなければ・・・とこれも強く
思いました。(医学系です(^_^;))

子供達と母親のためにまずは後5年は生きたいですね。

投稿: クロワッサン | 2013.03.18 19:37

クロワッサンさん、
大丈夫です。
良い父親で、良い息子です。
今、生きているんだから。
それだけで十分ではないでしょうか?
家族にとっては、それが一番だと思います。

投稿: すいか姫 | 2013.03.18 18:56

すいか姫さん、こんばんは。
コメントありがとうございます。

人間はその知能が発達したために未来を予測することができることの延長線上に死というものがあるということを知りましたが残念ながら死んだ後はどうなるのか経験者は誰も教えてくれません。チンパンジーはせいぜい2日間程度しか予測することができないので死というものがあることを知らないようです。

生まれ変わるという考えもあるし、そこで意識がなくなり終わりという考え方もありますし神の元に召されてそこで安息の日々を過ごすという考え方もあります。

亡くなった方々からみると生きている私たちのほうがかえって大変で

お前等大丈夫か?

と心配するのが旅立った人達の方であるという考え方もあります。

私は特定の宗教に傾倒しているわけではありませんが、先に旅立った愛すべき人達には安息の時を過ごして欲しいと思っています。フォーレのレクイエムに惹かれるのはこの辺りの考え方が近いのかもしれません。神の審判がありその時に恐い思いはして欲しくありません。

やはりたかだか100年足らずの寿命の中では自分らしく生きるというのが一番でしょうし、順番通りに見送るというのも幸せなのだと思います。

子が親より先に旅立つのは親としては辛いものがあります。

もし不老不死だとするとこれはこれで辛いものがありますね。友達はもちろんのこと自分の子供達あるいは孫達も全部見送るわけですから、厳しいですよね。

もし大いなる存在というのがあるとしたら人間がほぼ80歳がその人生という期限はそれなりの意味があるのでしょうね。

ただ自分自身はどうなるかわかりませんが、今の段階では、

子供に心配とストレスをかけたので良い父親ではない

母親に多大な心配かけたので良い息子ではない

というどうしようもない奴なのでできたらもう少しちゃんと生きてみんなを安心させたいですね。

投稿: クロワッサン | 2013.03.16 23:12

そうですね~
死はいつも隣り合わせだと
以前、妖怪が病気になった時に思いました。いつ、旅立つか?は誰にもわからないけど必ず来るもので、そのために生きている・・・
う~ん、でも、ゴールが見えると
それまでの逆算で何がしたいのか?
すべきか?が見えてきそうですが、
なかなか本気でその域に達しません!
でも、永遠の命がほしいとはおもいません。今生きているからでしょうか?

投稿: すいか姫 | 2013.03.16 19:15

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