論点が違うのでは
みなさん、こんにちは。
最近体罰の話題が色々なところで取り上げられていますが、この話題になると必ず体罰を肯定する人が出てきます。安打製造器こと張本氏は新人のころ水原監督(当時の東映フライヤーズの監督)に全力疾走しなかったのでピンタン(だったと思います)されて目が醒めたとおっしゃっていましたが、教育なのか体罰なのかはやはり信頼関係が必要なのだと思いますがそれにしても、殴る、蹴る、叩く、こづく、精神的に傷つけることをいうということは肯定することはできないでしょう。
例えばセクシャルハラスメントと同じように、同じことをしても、信頼関係がある人の場合は行き過ぎない限り問題はないと思いますが、信頼関係がない場合は軽く叩いてもその行為は否定されるでしょう。
体罰とかいじめではなく、暴力行為とか精神的虐待とかもっと本質を表す言葉を使ったほうが良いのではないかと思います。
この話題になるとコメンテーターのみなさんなぜか歯切れが悪く、自分自身の経験談を話してそれを肯定する方向にしていますね。
どんな状況であれ、体罰が原因で自殺に追い込まれていた人がいるわけでそれを肯定できることはないでしょう。
ちなみに私はそういう体質が嫌なので学生の頃は運動部には入部しませんでしたし応援団主催の応援練習は応援団の汚い言葉が飛び交っていましたがそれを先生が見ても注意一つしない光景を子供ながらに不思議に思っていました。今の私だったらそのような応援練習には参加を断固拒否するでしょうし、それで学校に居づらくなるのであれば転校するでしょう。
私たちの時代は・・・ということでこれを肯定する大人がいるというのは恐ろしいことだと思いますね~
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